2012年05月10日
『知りたくないけど知っておかねばならない原発の真実』
こんばんは、メガネです。
久しぶりに新書です。
久しぶりの新書が刺激の強い本になりました。
『知りたくないけれど、知っておかねばならない原発の真実』
(聞き手MBSラジオ「たね蒔きジャーナル」)
2011年9月10日 第1刷発行
著者:小出裕章(こいでひろあき)
発行:株式会社幻冬舎
定価:¥952*税
2012年5月9日読了
AMラジオ1179「MBSラジオたね蒔きジャーナル」での収録内容を書籍化したものです。
ラジオ番組ということで、原発事故からの時系列も含めてリスナーさんからの質問に著者が答えていく内容になっています。
主に関西在住のリスナーさんたちでもこれだけ身近な危険と捉えて、本気で心配しているんだなぁという思いと、その心配を上回る惨状を語る著者の姿が浮かんできます。
危険を唱え続けた学者たちの資料は握り潰され、原発事故直後のメルトダウン説はことごとく否定されました。
著者は、自らも京都大学原子炉実験所助教として原子力に携わる立場にありながら、これまで40年以上に渡って原発の危険性を認識し、廃止を訴え続けてきたそうです。
残念な事に、僕たちは著者が40年にわたって訴え続けてきた危険性に現実感を持ってこなかったわけです。
結果として、政府や電力会社などに騙され続けてきたことにはなるのですが、時すでに遅し。
しかし、これからできることを模索するにあたって、小出氏の著書を含めた原発のことを詳しく記したものをもっと読み解いていくことから始めなくてはなりません。
では、まえがきはコチラ⇒
プロローグ
私にとって3月11日は、徹底的な敗北を喫した日となりました。これまで私は、何とか原子力というものを廃絶したい、という気持ちで40年生きてきたのです。原子力によって、いつか破局的な事故が起きるのではないかと危惧していました。ですから、その前に原子力をなくしたい、と思い続けてきました。しかし、事故は起こりました。私の願いは、とうとう叶わなかったのです。
私はこれまで、日本で使っている原子力発電所で事故が起きたら(チェルノブイリの原子力発電所とはタイプが違うので)、どのような形で事故が進展していくのかというシナリオを描き、その事故がどのような被害をもたらすのかということをシミュレーションする仕事をしてきました。
ですから、原子力発電所のすべての電源が絶たれた場合には、「このような事故の経過をたどるだろう」というシナリオが、事故を知ってすぐに私の頭の中を駆け巡りました。いずれにしても、「1週間で勝負がつく」と私はそのとき思ったのです。
破局的な状況にまで転げ落ちてしまうか、あるいは事故を抑えることができるのか、1週間でわかるであろうと思っていたのです。ですから、非常に緊張感を持ったまま1週間を過ごしました。
その過程で、事態はどんどん悪い方向に向かっていきました。何とか食い止めて欲しいと思っていたのですが、1週間経過した時点で決定的な破局には向かいませんでしたが、事故を収束できるという方向にもいきませんでした。
それが2ヵ月経っても、さらに数ヶ月経っても、それでも勝負が決しないという、私にとってはそれまでの考え方が覆されることの連続でした。
それは私が考えていたことと、現実が違ったということもありますし、情報が得られないために手探りでいろいろな推論をたてなければいけなかった、ということもあります。それは今も続いています。
当初は事故の進展がもっと劇的だと思っていました。実際には水素爆発が起きたわけですが、その起きた場所が当初私が考えていた場所とは違い、原子炉建屋でした。爆発によって建屋は吹き飛んでしまいましたが、格納容器そのものはすべてが壊れてしまうという状態ではありませんでした。
ですから、水素爆発がまったく起きないという状態でもなかったですし、水素爆発が起きて格納容器が壊れてしまうという状態でもない、宙ぶらりんの状態で事故が進んでしまったということになります。
いってみれば、私が本当に危惧していたのは、急性で死んでしまう人がたくさん出るということでした。それは何とか回避できました。
それでもチェルノブイリの事故とあまり変わらない放射能が出てしまい、周辺が汚染されてしまいました。多くの方々が生活を失うということが、目の前で起きてしまっているわけです。
一方で、急性の障害がでないというのは、放射能の恐怖に気づきにくいということでもあります。放射能は目に見えませんし、色もなければにおいもありません。私から見れば現在も、ものすごい汚染が福島第1原子力発電所の周辺で生じているのですが、政府や東京電力はそのことをなるべく過小評価したいと考えているわけです。正確に伝えようという努力をまったくしていません。そのために、人々は汚染に気がつかないまま、現在に至っているのです。これは、非常に大きな問題です。
大阪のMBSラジオ「たね蒔きジャーナル」では、事故発生直後からほぼ毎日のように話をさせていただきました。本文中に入っている日付は、まさにON AIRのリアルな日付です。アナウンサーの水野晶子さん、千葉猛さん、そして毎日新聞の近藤勝重さん、平野幸夫さんほか出演者、番組スタッフの方々は、私の話をよく理解してくださり、本当に感謝しています。
もともと、この日本という国には大きな企業があって、その中で人々が働いているというのが基本的な形でした。マスメディアというものは、大きな企業に顔を向けています。そのようなマスメディアは、私のような意見はもちろん取り上げてもくれませんし、報道もしてくれません。
そんな中、幸い「たね蒔きジャーナル」では、私の主張を取り上げてくださいました。そのおかげとインターネットの普及とあいまって、予想以上に多くの方が聞いてくださり、大変ありがたいことでした。
ほとんど毎日、新しいニュースが飛び込んできますので、事前に詳しい打ち合わせをすることができませんでした。ただ私は、知っていることをお伝えすることしかできませんし、わからないことは「わからない」と答えさせていただきました。ですから、わからないと答えざるを得ないときには申し訳ないという気持ちでした。
その原因のひとつは、情報そのものが正しいモノなのかどうか、ということがありました。それは今でも続いています。それを考えてみても原子力発電所とは、途方もないものだ、という思いが一番強いのです。
今回の事故は、地震と津波によって起きたわけですが、もし破壊されたのが火力発電所であれば、現場に行って時間をかけて事故の原因を調べ、修復をすれば必ず直ります。しかし、原子力発電所の場合は、壊れてしまった場所にたどりつくことさえできない、どうなっているのかを知ることすらできない、というものなのです。
まさに放射能という怪物を相手に闘わなくてはいけないという大変さが身にしみました。そして、私が入手できる情報というのは、東京電力が公表するデータ、あるいは政府が公表するデータしかありません。ですから、それを元に、今後こうなるはずだということを考えて、皆さんにお伝えしてきたわけです。
しかし、しばらくすると、政府や東京電力がそのデータをひっくり返してしまうということがたびたびありましたから、私が皆さんにお伝えしてきたことも「間違えていた」ということがしばしば起こったのです。
大変申し訳ないと思いながらも、私にはそうする以外、方法がないことにとても情けない気持ちでいっぱいでした。
今何が起こっているのかを、毎日のように皆さんにお伝えするのは初めての経験でした。とてもありがたいことです。これまではそのような機会はありませんでしたので、一方的に政府や東京電力の情報が流れるしかなかったと思います。
福島第1原子力発電所周辺の方々には、まことに申し訳なかったと思います。私はもう40年間も原子力の場にいました。私自身は原子力推進の旗を振ることは決してしませんでしたし、何とかやめさせようとしてきたわけですが、私の力が小さすぎて、原子力を推し進めようという大きな力に対して、何もできないまま事故が起きてしまいました。
私にとっては非常に無念ではありますが、原子力という現場にいる1人として、それなりの責任が私にもあると思いますし、福島の方々にも申し訳ないという気持ちをぬぐいきれません。
この本を読んでいただいた方々の中にも、これから厳しい現実に立ち向かわなければならない人が多いと思います。読者の中には、まさに福島にお住まいの方々もいらっしゃるでしょう。県民の皆さんにはさらに厳しい現実と向き合わざるを得ないと思います。
私はこのような事故を防ぎたいと、ずっと思ってきました。その思いを強くした出来事が過去にありました。それはチェルノブイリの事故でした。そのときも今回と同じように広大な土地が汚染されました。そして、そこに住んでいた人々が被曝していったのです。
私は被曝が大変恐ろしいということを、普通の方々に比べればよく知っています。ですから、汚染地帯から少しでも多くの人に逃げて欲しいと思っていました。ただ、被爆を恐れて避難をするということが今度は、その土地で生きてきた生活そのものを失ってしまう、生活が崩壊してしまうということをチェルノブイリの事故を通じて知りました。
そうなると、被曝による健康被害を逃れるのか、あるいは避難による生活崩壊を逃れるのか、どちらかを選択しなければなりません。しかし、どちらも選択できないというところに追い込まれることを、そのとき私は知ったのです。
私自身もその立場に置かれたときに、どう選択すればいいのかわかりません。自分でもその選択を迫られるような事態になるのはごめんだと思いましたし、何とかそういう事態を避けるためには、原子力発電所そのものを廃絶しなければいけないと思ったわけです。
しかしそれができずに、今回の事故が起こってしまいました。
福島の汚染地帯に住んでいる方々は、何とか被曝から逃れたいと思っているでしょう。それは当然のことです。
ましてや子供を持っている家庭では、何とか子どもを守りたいと考えているでしょう。しかし、子どもだけを避難させれば家庭が崩壊しますし、農家や酪農家、畜産家の方々は土そのものと結びついて今まで生きてきたわけですから、自分たちが避難をしてしまったら、生活そのものが本当に崩壊してしまうわけです。どうしたらいいのかわからないまま、いま現在を過ごしていることと思います。
そういう方々の苦悩を思うと、私からその方々へ何か言葉をかけようと考えても、私にはかける言葉がないのです。
福島の方々は、どんなにつらいことがあったとしても、現実・真実を知るべきだと思います。私も言いにくいこともありましたが、あえてお伝えしてきました。
これからどう生きていくべきなのか、迷っている方々も多いかもしれませんが、私はこう思います。自分の責任を自分で果たすべきだと。少なくともこの日本では、原子力発電を推し進めてきたわけです。すでに54基を建設してしまいました。私たちは、電気があるから豊かだと思って、ここまできてしまったわけです。そしてこの事故を迎えてしまいました。
事故により多くの犠牲が生じますし、放射能を帯びた商品がたくさん出回ってきます。そのうち、とくに重要なのは食品ですが、もう私たちは放射能で汚れた食べ物を食べる以外にないのです。
では、「その食べ物をどう分配するのだ」ということになるわけです。私は自分の責任をきちんと果たすということを第一に考えていますので、今回の事故、あるいはここまで原子力を許してきた責任がどこにあるのか、誰にあるのかということを日本人の1人ひとりが考えながら、その責任に応じて食べ物からの被曝を受け入れるしかないと思います。
日本人のすべての大人には、原子力をここまで許してきた責任があると思います。それは政府や電力会社が「原子量発電は絶対安全だ」と言い続けてきたわけですし、多くの日本人は騙されてきたわけですが、騙された人には騙された責任があると私は思うのです。
ただ、子どもには少なくとも、今の原子力発電を許したという責任はありません。放射線に対しても大人よりもはるかに敏感です。ですから、子どもをいかに守るかというシステムを作らなければならないと思います。
しかし、政府も東京電力もつくろうとしていません。ある基準値を決めて、基準以上に汚染された食品は出荷停止にする、基準以下のものは安全だと野放しにする、と言っているわけです。
放射能に被曝するときに、ある基準以上が危険でそれ以下は安全だということは絶対にありえません。ですから、いま政府が言っているのは完全に嘘です。その嘘に基づいて食品を野放しにしてしまうことで、子どもたちも基準値以下であれば何でも食べさせられてしまいます。
私はそうではなく、汚染の度合いをひとつひとつ表示することによって、子どもたちに汚染の少ないものが回るようなシステム作りをしたいのですが、今の日本の状況を考えるとできないかもしれません。そうすると、子供たちは何の選択もできずに、汚染された食べ物を食べなくてはなりません。これから日本の子どもたちの中に福島の放射能で、ガンになる方々が増えていくのだろうと恐れています。
私はここまで原子力を廃絶させようと思ってきて止められなかったわけですが、いま新たに多くの方々が原子力の問題に気づいてくれるようになりました。原子力の廃絶に向けて、もう一歩進みたいと思います。
平成23年8月2日
小出裕章
私にとって3月11日は、徹底的な敗北を喫した日となりました。これまで私は、何とか原子力というものを廃絶したい、という気持ちで40年生きてきたのです。原子力によって、いつか破局的な事故が起きるのではないかと危惧していました。ですから、その前に原子力をなくしたい、と思い続けてきました。しかし、事故は起こりました。私の願いは、とうとう叶わなかったのです。
私はこれまで、日本で使っている原子力発電所で事故が起きたら(チェルノブイリの原子力発電所とはタイプが違うので)、どのような形で事故が進展していくのかというシナリオを描き、その事故がどのような被害をもたらすのかということをシミュレーションする仕事をしてきました。
ですから、原子力発電所のすべての電源が絶たれた場合には、「このような事故の経過をたどるだろう」というシナリオが、事故を知ってすぐに私の頭の中を駆け巡りました。いずれにしても、「1週間で勝負がつく」と私はそのとき思ったのです。
破局的な状況にまで転げ落ちてしまうか、あるいは事故を抑えることができるのか、1週間でわかるであろうと思っていたのです。ですから、非常に緊張感を持ったまま1週間を過ごしました。
その過程で、事態はどんどん悪い方向に向かっていきました。何とか食い止めて欲しいと思っていたのですが、1週間経過した時点で決定的な破局には向かいませんでしたが、事故を収束できるという方向にもいきませんでした。
それが2ヵ月経っても、さらに数ヶ月経っても、それでも勝負が決しないという、私にとってはそれまでの考え方が覆されることの連続でした。
それは私が考えていたことと、現実が違ったということもありますし、情報が得られないために手探りでいろいろな推論をたてなければいけなかった、ということもあります。それは今も続いています。
当初は事故の進展がもっと劇的だと思っていました。実際には水素爆発が起きたわけですが、その起きた場所が当初私が考えていた場所とは違い、原子炉建屋でした。爆発によって建屋は吹き飛んでしまいましたが、格納容器そのものはすべてが壊れてしまうという状態ではありませんでした。
ですから、水素爆発がまったく起きないという状態でもなかったですし、水素爆発が起きて格納容器が壊れてしまうという状態でもない、宙ぶらりんの状態で事故が進んでしまったということになります。
いってみれば、私が本当に危惧していたのは、急性で死んでしまう人がたくさん出るということでした。それは何とか回避できました。
それでもチェルノブイリの事故とあまり変わらない放射能が出てしまい、周辺が汚染されてしまいました。多くの方々が生活を失うということが、目の前で起きてしまっているわけです。
一方で、急性の障害がでないというのは、放射能の恐怖に気づきにくいということでもあります。放射能は目に見えませんし、色もなければにおいもありません。私から見れば現在も、ものすごい汚染が福島第1原子力発電所の周辺で生じているのですが、政府や東京電力はそのことをなるべく過小評価したいと考えているわけです。正確に伝えようという努力をまったくしていません。そのために、人々は汚染に気がつかないまま、現在に至っているのです。これは、非常に大きな問題です。
大阪のMBSラジオ「たね蒔きジャーナル」では、事故発生直後からほぼ毎日のように話をさせていただきました。本文中に入っている日付は、まさにON AIRのリアルな日付です。アナウンサーの水野晶子さん、千葉猛さん、そして毎日新聞の近藤勝重さん、平野幸夫さんほか出演者、番組スタッフの方々は、私の話をよく理解してくださり、本当に感謝しています。
もともと、この日本という国には大きな企業があって、その中で人々が働いているというのが基本的な形でした。マスメディアというものは、大きな企業に顔を向けています。そのようなマスメディアは、私のような意見はもちろん取り上げてもくれませんし、報道もしてくれません。
そんな中、幸い「たね蒔きジャーナル」では、私の主張を取り上げてくださいました。そのおかげとインターネットの普及とあいまって、予想以上に多くの方が聞いてくださり、大変ありがたいことでした。
ほとんど毎日、新しいニュースが飛び込んできますので、事前に詳しい打ち合わせをすることができませんでした。ただ私は、知っていることをお伝えすることしかできませんし、わからないことは「わからない」と答えさせていただきました。ですから、わからないと答えざるを得ないときには申し訳ないという気持ちでした。
その原因のひとつは、情報そのものが正しいモノなのかどうか、ということがありました。それは今でも続いています。それを考えてみても原子力発電所とは、途方もないものだ、という思いが一番強いのです。
今回の事故は、地震と津波によって起きたわけですが、もし破壊されたのが火力発電所であれば、現場に行って時間をかけて事故の原因を調べ、修復をすれば必ず直ります。しかし、原子力発電所の場合は、壊れてしまった場所にたどりつくことさえできない、どうなっているのかを知ることすらできない、というものなのです。
まさに放射能という怪物を相手に闘わなくてはいけないという大変さが身にしみました。そして、私が入手できる情報というのは、東京電力が公表するデータ、あるいは政府が公表するデータしかありません。ですから、それを元に、今後こうなるはずだということを考えて、皆さんにお伝えしてきたわけです。
しかし、しばらくすると、政府や東京電力がそのデータをひっくり返してしまうということがたびたびありましたから、私が皆さんにお伝えしてきたことも「間違えていた」ということがしばしば起こったのです。
大変申し訳ないと思いながらも、私にはそうする以外、方法がないことにとても情けない気持ちでいっぱいでした。
今何が起こっているのかを、毎日のように皆さんにお伝えするのは初めての経験でした。とてもありがたいことです。これまではそのような機会はありませんでしたので、一方的に政府や東京電力の情報が流れるしかなかったと思います。
福島第1原子力発電所周辺の方々には、まことに申し訳なかったと思います。私はもう40年間も原子力の場にいました。私自身は原子力推進の旗を振ることは決してしませんでしたし、何とかやめさせようとしてきたわけですが、私の力が小さすぎて、原子力を推し進めようという大きな力に対して、何もできないまま事故が起きてしまいました。
私にとっては非常に無念ではありますが、原子力という現場にいる1人として、それなりの責任が私にもあると思いますし、福島の方々にも申し訳ないという気持ちをぬぐいきれません。
この本を読んでいただいた方々の中にも、これから厳しい現実に立ち向かわなければならない人が多いと思います。読者の中には、まさに福島にお住まいの方々もいらっしゃるでしょう。県民の皆さんにはさらに厳しい現実と向き合わざるを得ないと思います。
私はこのような事故を防ぎたいと、ずっと思ってきました。その思いを強くした出来事が過去にありました。それはチェルノブイリの事故でした。そのときも今回と同じように広大な土地が汚染されました。そして、そこに住んでいた人々が被曝していったのです。
私は被曝が大変恐ろしいということを、普通の方々に比べればよく知っています。ですから、汚染地帯から少しでも多くの人に逃げて欲しいと思っていました。ただ、被爆を恐れて避難をするということが今度は、その土地で生きてきた生活そのものを失ってしまう、生活が崩壊してしまうということをチェルノブイリの事故を通じて知りました。
そうなると、被曝による健康被害を逃れるのか、あるいは避難による生活崩壊を逃れるのか、どちらかを選択しなければなりません。しかし、どちらも選択できないというところに追い込まれることを、そのとき私は知ったのです。
私自身もその立場に置かれたときに、どう選択すればいいのかわかりません。自分でもその選択を迫られるような事態になるのはごめんだと思いましたし、何とかそういう事態を避けるためには、原子力発電所そのものを廃絶しなければいけないと思ったわけです。
しかしそれができずに、今回の事故が起こってしまいました。
福島の汚染地帯に住んでいる方々は、何とか被曝から逃れたいと思っているでしょう。それは当然のことです。
ましてや子供を持っている家庭では、何とか子どもを守りたいと考えているでしょう。しかし、子どもだけを避難させれば家庭が崩壊しますし、農家や酪農家、畜産家の方々は土そのものと結びついて今まで生きてきたわけですから、自分たちが避難をしてしまったら、生活そのものが本当に崩壊してしまうわけです。どうしたらいいのかわからないまま、いま現在を過ごしていることと思います。
そういう方々の苦悩を思うと、私からその方々へ何か言葉をかけようと考えても、私にはかける言葉がないのです。
福島の方々は、どんなにつらいことがあったとしても、現実・真実を知るべきだと思います。私も言いにくいこともありましたが、あえてお伝えしてきました。
これからどう生きていくべきなのか、迷っている方々も多いかもしれませんが、私はこう思います。自分の責任を自分で果たすべきだと。少なくともこの日本では、原子力発電を推し進めてきたわけです。すでに54基を建設してしまいました。私たちは、電気があるから豊かだと思って、ここまできてしまったわけです。そしてこの事故を迎えてしまいました。
事故により多くの犠牲が生じますし、放射能を帯びた商品がたくさん出回ってきます。そのうち、とくに重要なのは食品ですが、もう私たちは放射能で汚れた食べ物を食べる以外にないのです。
では、「その食べ物をどう分配するのだ」ということになるわけです。私は自分の責任をきちんと果たすということを第一に考えていますので、今回の事故、あるいはここまで原子力を許してきた責任がどこにあるのか、誰にあるのかということを日本人の1人ひとりが考えながら、その責任に応じて食べ物からの被曝を受け入れるしかないと思います。
日本人のすべての大人には、原子力をここまで許してきた責任があると思います。それは政府や電力会社が「原子量発電は絶対安全だ」と言い続けてきたわけですし、多くの日本人は騙されてきたわけですが、騙された人には騙された責任があると私は思うのです。
ただ、子どもには少なくとも、今の原子力発電を許したという責任はありません。放射線に対しても大人よりもはるかに敏感です。ですから、子どもをいかに守るかというシステムを作らなければならないと思います。
しかし、政府も東京電力もつくろうとしていません。ある基準値を決めて、基準以上に汚染された食品は出荷停止にする、基準以下のものは安全だと野放しにする、と言っているわけです。
放射能に被曝するときに、ある基準以上が危険でそれ以下は安全だということは絶対にありえません。ですから、いま政府が言っているのは完全に嘘です。その嘘に基づいて食品を野放しにしてしまうことで、子どもたちも基準値以下であれば何でも食べさせられてしまいます。
私はそうではなく、汚染の度合いをひとつひとつ表示することによって、子どもたちに汚染の少ないものが回るようなシステム作りをしたいのですが、今の日本の状況を考えるとできないかもしれません。そうすると、子供たちは何の選択もできずに、汚染された食べ物を食べなくてはなりません。これから日本の子どもたちの中に福島の放射能で、ガンになる方々が増えていくのだろうと恐れています。
私はここまで原子力を廃絶させようと思ってきて止められなかったわけですが、いま新たに多くの方々が原子力の問題に気づいてくれるようになりました。原子力の廃絶に向けて、もう一歩進みたいと思います。
平成23年8月2日
小出裕章
Posted by メガネさん at 23:59│Comments(0)
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