2007年10月17日
ぽっかり。
こんばんは、メガネです。
前々から覚悟はしていたことなんですが、大事な大事な人とお別れしてきました。
26年間ずーーっと一緒だった祖母が逝ってしまいました。81歳(享年 82歳)でした。
前々から覚悟はしていたことなんですが、大事な大事な人とお別れしてきました。
26年間ずーーっと一緒だった祖母が逝ってしまいました。81歳(享年 82歳)でした。
5年前からペースメーカーを入れていた祖母に、更なる病気が発覚したのが昨年の夏。
見つかった時には余命1年と宣告された膀胱ガン。
回復を見込んだ治療ではなく、破裂の恐れのある膀胱の片方だけを切除し、身体の外側に袋をつけての生活。
入退院を繰り返してはいたものの、家族みんなで何とか自宅での生活を支えてきました。
しかし、病気の進行とともに、自力では歩けなくなり、介護する時にも体中に激痛が走るようになり、7月の終わりに入院することに。
この時点ですでに骨への転移が認められておりました。
今年の暑かった夏を乗り切ってくれたので、年を越せるかなと思っていたのですが、14日(日)の朝に容態が急変。
前日までは呼びかけの声に反応をしていた祖母ですが、血圧の低下と共に意識がなくなり、危篤状態に。
慌てて病院へ行くと、酸素吸入こそしてはいるものの、一生懸命に自分の力で呼吸している祖母の姿がありました。
呼びかけには答えてくれなかったけれど、きっとみんなが近くにいたことはわかっていたと思います。
仕事の都合をつけるために一時帰宅している時に、祖母は息を引き取りました。
残念ながら、両親と僕、それに仕事で関東に住んでいる弟は看取ってやることができませんでしたが、たくさんの兄弟、親戚に見守られて逝きました。
その日の夕方から、翌日丸1日は家へ帰ってきて、みんなと一緒にいることができました。
皆が口を揃えて「笑っているよう」だと言うほど、本当に穏やかな寝顔でした。
重い病気にも関わらず、最期は苦しまずに逝けたことで本人も家族も救われたと思います。
昨日のお通夜も今日の告別式もたくさんの人に来てもらい、たくさんのお花に囲まれて、見送られていきました。
「ありがとう」とか「悲しい」とか感情を入れるといつまで経っても書けないので、事実だけを記しておきます。
いつ本当に立ち直れるかはわかりませんが、今できることを精一杯やることできっと安心してくれると思うから、明日からまた仕事します。
見つかった時には余命1年と宣告された膀胱ガン。
回復を見込んだ治療ではなく、破裂の恐れのある膀胱の片方だけを切除し、身体の外側に袋をつけての生活。
入退院を繰り返してはいたものの、家族みんなで何とか自宅での生活を支えてきました。
しかし、病気の進行とともに、自力では歩けなくなり、介護する時にも体中に激痛が走るようになり、7月の終わりに入院することに。
この時点ですでに骨への転移が認められておりました。
今年の暑かった夏を乗り切ってくれたので、年を越せるかなと思っていたのですが、14日(日)の朝に容態が急変。
前日までは呼びかけの声に反応をしていた祖母ですが、血圧の低下と共に意識がなくなり、危篤状態に。
慌てて病院へ行くと、酸素吸入こそしてはいるものの、一生懸命に自分の力で呼吸している祖母の姿がありました。
呼びかけには答えてくれなかったけれど、きっとみんなが近くにいたことはわかっていたと思います。
仕事の都合をつけるために一時帰宅している時に、祖母は息を引き取りました。
残念ながら、両親と僕、それに仕事で関東に住んでいる弟は看取ってやることができませんでしたが、たくさんの兄弟、親戚に見守られて逝きました。
その日の夕方から、翌日丸1日は家へ帰ってきて、みんなと一緒にいることができました。
皆が口を揃えて「笑っているよう」だと言うほど、本当に穏やかな寝顔でした。
重い病気にも関わらず、最期は苦しまずに逝けたことで本人も家族も救われたと思います。
昨日のお通夜も今日の告別式もたくさんの人に来てもらい、たくさんのお花に囲まれて、見送られていきました。
「ありがとう」とか「悲しい」とか感情を入れるといつまで経っても書けないので、事実だけを記しておきます。
いつ本当に立ち直れるかはわかりませんが、今できることを精一杯やることできっと安心してくれると思うから、明日からまた仕事します。
Posted by メガネさん at 23:25│Comments(4)
│日記・つぶやき
この記事へのコメント
この度はご愁傷様です。
いつか、おばあちゃんと一緒に車いすを買いに行ったって言う
日記書いてなかったっけ?なんてことのない日常のヒトコマに、
中野家の、笑いと優しさにあふれた家族愛を垣間見た気がしました。
シゴトは意外とこういうとき救いになったりするもんです。
大変やろけど、頑張るなかのってぃをおばあちゃんもきっと毎日見守ってるからね。
いつか、おばあちゃんと一緒に車いすを買いに行ったって言う
日記書いてなかったっけ?なんてことのない日常のヒトコマに、
中野家の、笑いと優しさにあふれた家族愛を垣間見た気がしました。
シゴトは意外とこういうとき救いになったりするもんです。
大変やろけど、頑張るなかのってぃをおばあちゃんもきっと毎日見守ってるからね。
Posted by 陽子 at 2007年10月18日 01:21
覚悟していたとはいえ、どんなにお力落としの事かと存じます。
私も4年前に祖母とお別れをしました。すごく辛かったですが、私もすぐに仕事へ、日常へと戻りました。陽子さんのおっしゃる通り、仕事が救いになると実感しました。
ですが、仕事に打ち込むあまり、お体を壊される事のないようになさってくださいね。
私も4年前に祖母とお別れをしました。すごく辛かったですが、私もすぐに仕事へ、日常へと戻りました。陽子さんのおっしゃる通り、仕事が救いになると実感しました。
ですが、仕事に打ち込むあまり、お体を壊される事のないようになさってくださいね。
Posted by レモンティー at 2007年10月18日 19:45
>陽子
どうもありがとう。
オカンの時にイヤっていうほど泣いたし、自暴自棄にもなったし、無力感も味わったし、それでも生活はせなアカンくて、苦しんだから、多少は強くなったと思ってた。
でもやっぱり寂しいね。
翌日から仕事してたらおばあちゃんに「この薄情モンがっ!」って冗談で言われそうやけど、そのくらいの根性をここで見せとかんとね。
>レモンティーさん
ありがとうございます。
さすがに今日はしんどかったです。
心が疲れるってのは堪えますね。
お得意先からも温かいお言葉を頂いて、頑張ってます。
どうもありがとう。
オカンの時にイヤっていうほど泣いたし、自暴自棄にもなったし、無力感も味わったし、それでも生活はせなアカンくて、苦しんだから、多少は強くなったと思ってた。
でもやっぱり寂しいね。
翌日から仕事してたらおばあちゃんに「この薄情モンがっ!」って冗談で言われそうやけど、そのくらいの根性をここで見せとかんとね。
>レモンティーさん
ありがとうございます。
さすがに今日はしんどかったです。
心が疲れるってのは堪えますね。
お得意先からも温かいお言葉を頂いて、頑張ってます。
Posted by メガネさん
at 2007年10月18日 22:54

↑「オカンの時に」って死んだみたいになってるな。(苦笑)。病気前にも増して大きく立派になられてるのでご安心を。(笑)
Posted by メガネさん
at 2007年10月18日 22:55
