『アホ大学のバカ学生』

メガネさん

2012年02月16日 12:20

こんにちは、メガネです。


欝っぽい症状も1日で何とかおさまったようです。
まだ油断はできませんが。

でも今朝はしっかり8時に起きることができました。
踏ん張りどきかな~。



『アホ大学のバカ学生』

2012年1月20日 初版1刷発行
2012年2月15日 2刷発行

著者:石渡嶺司(いしわたりれいじ)・山内太地(やまうちたいじ)
発行:株式会社光文社

定価:¥820+税

2012年2月9日読了


タイトルほど大学も学生もけなすような内容ではありません。
グローバル化が進む中で、日本だけが置いていかれる危険性を憂いてはいますが。

多様化するニーズに対して、減少の一途をたどる学生数。
定員割れについて各大学がどんな対策を練っているか。

そんな努力の中で成功した大学、学生も大学も無気力なままの大学。

まぁいろいろあって楽しめました。
中でも有名な国際教養大学のスゴさは際立ってましたね。

どんな有名難関大学でも1回生の学力見直しが行われているのに、プライドか何か知りませんけど、公表してないという情けない事情も知ることができました。

あとは、初代内定辞退したのが誰なのかなんてことも書かれていて面白かったですよ。


以下はまえがきです。
「●●が悪い、だから△△は許される」
 という言説がある。「●●」と「△△」は直接関係がない。ところが話し方によってはもっともらしく聞こえてしまうところがミソだ。
 よくあるところでは、
「前の車も交通違反をしていた、だから自分だけ違反切符を切られるのはおかしい」
 というような、自分の交通違反の正当化である。他の車の交通違反と自分の交通違反は全く無関係だ。勝手きわまりないが、本人からすれば、なぜ自分だけが、との思いでまくし立てることになる。
 交通違反もろくでもないが、もっともろくでもないのが殺人犯だ。秋葉原通り魔事件の加藤智被告は、事件後に、
「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」
  などと供述している。生活に疲れた世の中が嫌になったからといって、人を殺していいわけがない。勝手きわまりない言いようだ。
 交通違反の逆ギレにしろ、通り魔殺人犯にしろ、無関係な話が自分の中では勝手に結びついているにすぎない。別々に解決を探るのが本筋であろう。

 本書は大学論と大学生論をまとめた新書である。なぜ冒頭でこのような論理構成の話をしたのかというと、こういうむちゃくちゃなことを言い出す人が、大学や大学周辺の就活業界によくいるからだ。
 例えばこちら。
「大学の勉強は社会では無意味。だから就活の早期化・長期化は許される」(就活関係者)
 この人の中では、「大学の勉強など無意味で役に立たない。え?源氏物語の研究?文学で飯が食えるのか」→「だから就活の早期化・長期化でいくら学業が阻害されようが、それは許される話」と考えているのだろう。
 しかし、大学の勉強に意味があるのかないのか、という話と、就活の早期化・長期化の話は、本来、別ものである。仮に、本当に大学の勉強に意味がなく、大学教育が社会に役立つ人材を養成していないとしても、学業を阻害する就活の早期化・長期化が許される、というのは、就活に利害がある人の言い訳にすぎない。
 ついでながら断っておくと、2011年前後から、面接で学部の専攻など学業について問う企業が急増している。学生諸君は「大学の勉強は無意味」説を信じて学業に手を抜くと就活で痛い目に遭うことだろう。その理由は、本書第1章「バカ学生、まかりとおる」に詳しい。

 私は光文社新書『最高学府はバカだらけ』(2007年)、『就活のバカヤロー』(2008年、大沢仁との共著)にて、大学のバカっぽところを散々指摘してきた。本書も同様である。現実に今でも大学は様々な問題を抱えている。だが、そうした諸問題の解決と、就活の早期化・長期化の是非は全く関係がない。
 これと似たところでは、
「いくら学業に配慮したところで、今の大学生はどうせ勉強などしない。それなら、就活の早期化を推し進めた方がまだまし」
 との意見もある。
 これもまあ、言っては何だが、交通違反者や通り魔犯の言い分と五十歩百歩である。
大学が高等教育研究機関である以上、勉強をやって当たり前。仮に学生が勉強しないとしても、それは大学が解決すべき問題であり、就活の早期化・長期化是認の理由にはならない。就活の早期化・長期化の問題点を棚に上げて大学だけを悪者扱いするのは、就活業界関係者のエゴである。そのエゴの最先端が、有料セミナーやインターンシップなどに現れている。こう書くと、学生は一方的な被害者のようだが、何でもかんでも社会が悪いとのたまう学生団体も出現した。このあたりの事情は、第4章「就活を巡る空回り」にまとめた。

 ここまで大学教育を擁護してきたが、大学側だって、就活業界関係者に対して偉そうなことは言えない。エゴを振り回す就活業界関係者と同じ論理構成で、持論を展開する大学関係者はいくらでもいる。
「就活が学業を阻害している。だから大学の問題が解決しない」
 就活が学業を阻害しているのは事実だが、それと大学の諸問題の解決は別である。なんというか、不毛な言い争いだ。このように、大学のアホバカぶりはいくらでも出てくる。それをまとめたのが、2007年刊行の『最高学府はバカだらけ』だった。その刊行から5年、「大学はアホっぽく、学生はバカばっか」(『最高学府はバカだらけ』3ページ)という事情は相変わらずだ。
 大学については、広報は下手なままだし、無意味な校名・学部名変更を行い、何の効果も得られなかった大学が全国には数多くある。受験生を集めたいと言いながら集める気のない(としか思えない)大学のパンフレットは珍しくない。そのあたりのことを、第2章「大学だってアホっぽい」、第3章「講演『受験生をゼロにするためのパンフレット作り』」にまとめた。
 ただ、大学については、少しずつ変わり出してきた面もある。そのキーワードは、初年次教育、定員割れ脱出、グローバル人材、そして「特進クラス」の4点だ。この4点を中心に大学がどのように変わってきているのかをまとめたのが、第5章「難関大でも『面倒見がいい』時代」、第7章「定員割れ大学のサバイバル競走」、第8章「マンモス大、グローバル人材とバカ学生の間で揺れる」だ。

 本書タイトルをはじめ、あちこちでよく言われるのが「いまどきの学生は」論だ。考えてみれば、私が大学生だったときも言われたものだ。では、昔の「バカ学生」は何と言われていたのかを探ってみたのが第6章「日本バカ学生史」である。内定辞退者に怒り心頭の採用担当者は、この章を読むと内定辞退者第1号が誰で、どこの社か分かるに違いない。

 本書は、私の大学時代の友人であり、日本で唯一、国内全大学訪問という偉業を達成した大学研究家・山内太地氏との共著である。就活や大学教育、学生生活など意見の相違はあるが、基本的な方向性は同じということもあって、本書をまとめることができた。
 私・石渡は1・2・3・4・6章、山内は5・7・8章を担当した。ただし、各章ともそれぞれ相互チェックした他、文体などを統一するため、私・石渡が一部手を入れている。
 本書によって、大学は学生、就活を巡るドタバタぶりを知っていただき、当事者も当事者でない方もくすりと笑っていただければ幸いである。

 石渡嶺司


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